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37.(0712金融)
;インド経済の今後を教えて下さい。(2)
インドのイメージというと、ターバン姿、牛を神とみるヒンズー教、一生親の職業によって職が決められるカースト制度、貧困層の多さ、仏教の発祥地、インダス文明、タージマハールなどでしょうか。
 
【建築】インド人は元来、建築の技量は高くないようです。
インドの建築物としてインターネットで検索をしても、寺院が多く、それもそんなに古い物ではありません。やはりタージ・ハマール廟しか知っているものが出てきません。
 
このタージ・マハール廟が建設されたのが、1632年から始まり20年掛けて完成しました。
この霊廟はインド・ムガール帝国の第5代シャー・ジャヒーンが愛妻ムムターズの死をいたく悲しみ、ペルシャ出身の妃をしのんでペルシャ人に設計・建築させたという説が強い。
つまり、建築はインド人でないと言うことになります。
 
【歴史】古代インダス文明を支配したのは、紀元前2000年ごろ西方から進入してきたヨーロッパ系のアーリア人で、このアーリア人がバラモン教を普及させてインド最初の支配者になりました。
紀元前4世紀にはインドを統一したアショカ王は仏教を保護したが、その後9世紀にはチョーラ朝が南インドを統一。一方北インドはアフガニスタンから来たガズニ朝が侵略するするなど王朝は混乱しました。
13世紀には西からイスラム教が各地に浸透しました。
1498年にはバスコ・ダ・ガマがポルトガルから艦隊を率いてインド南部に上陸。
この後上記のムガール王朝になって行く訳です。
 
一方、英国はポルトガルに遅れること、100年にしてインドに進出しました。
日本の江戸時代の初めの年に当る、1600年には対印貿易のための東インド会社を設立しました。
この後オランダ、フランスが進出して、インドは欧州の列強による植民地政策に翻弄されることになります。
1757年、イギリスはフランスを破り、インドの派遣を確立。
その後、1857年最初の反英大反乱「セポイの乱」を鎮圧して、遂にインドを制圧しました。
 
20世紀に入り、マハトマ・ガンジー(1869〜1948)が非暴力による独立闘争を展開。
又、スパス・チャンドラー・ボーズも日本軍の支援を受けてインド国民軍を結成し武力独立闘争を進めました。
第二次世界大戦後、英国は植民地政策を断念せざるを得ず、インド支配を断念。
だが、インド独立の前日、イスラム教のパキスタンは建国を宣言し、以後カシミールの領有をめぐって度々紛争が起こっています。
 
【宗教】紀元前5世紀にブッダは仏教を開宗しました。
仏教はその後西ルートと南ルートを通り、中国に伝達されて行きました。
 
しかしインドでの仏教徒の数はわずか人口の0.7%。
最大宗派はヒンズー教で人口の8割。ついでイスラム教が13%を占め、キリスト教が2.3%です。
 
【農業】インドDGPに占める農業の割合は20%ですが、しかし農村地に住む住民は人口全体の70%です。インドの産業の主体はやはり農業です。
勿論、紅茶はアッサムやダージリンとして有名ですが、ともかく主たる穀物は世界の上位に位置します。
その潜在力は無限大と言われています。
 
インドの農業の弱点は産地と消費地を結ぶインフラが弱いことです。
又、多くの産地には選果場や保冷施設がない為、せっかくの農産物も収穫しても腐敗・廃棄しなければならない現状です。
又、産地における食品加工施設も少ない状況です。
 
インド農業の最大課題は灌漑施設の低さです。
北部は80%ぐらいありますが、南部は30−40%で全土平均で40%しか農業用水が行き渡っていません。残りに土地は雨水頼りです。



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